なんの宗教にも入っていないゆらです。
捨てられないものを作るのも罪だよなあ。。
つくづくそう思ってしまった。
今朝の四時くらいまでチェルノブイリなどの原発事故の記録や原子炉建設記事、放射能の害の報告書などを歩き回ってしまった。
放射能の被害についても、真実はひとつなんだけど人の数だけ記事があり
ウクライナでは目立った新生児の被害や奇形の報告はない
という記事を見つけたと思ったら
ウクライナでは妊婦はことごとく中絶している
という記事が
奇形の動物の記事、そういった動物は発見されてないという記事、奇形の場合、生まれたらすぐ死んでしまうから見つからないという記事
便乗商法的にねつ造した記事、
放射能が体だけでなく人の心に与えた深い歪み
トラウマ、
住民がいなくなりいっせいに殺されたわんこやにゃんこたち
燃料や制御棒を軍隊や役人総手で手づかみで後始末したり
原子炉崩壊してるのに
してないと報告しちゃった現場責任者の本能的な行動
うわーって頭が沸騰しそうになった
今も頭から離れない
こんな深く心を動かされることはあまりないです
一昨日の六ヶ所村から舞台は世界へと、わたしの許容量低い脳では処理しきれない重たさで迫って参りました。
事故も大問題だけど使用済みの核燃料は世界のどこにも捨てられない。
問題意識盛んなロウティーンのころに原発の炉のしくみやその処理について調べたりして、海に棄ててる、あるいは処理のしようがない
という現実に、考えることに疲れた人も多いのでは
わたしはそうでした
発生する放射能が少ないということで核融合が出来ればいいのになあ
という妄想も抱いていた
子供だったし自分に何ができるかわからなかったし、
で
ずいぶん経ってから覗いてみてなんの改善も見られてなかった
いや悪化
わたしが逃げ出したように逃げ出した人も多かったのでしょう
今や整理できない開かずの部屋みたいな
プロメテウスが盗んできた神の火はこれだったのかな。
あたしがゼウスでも、
人間には許してない!
と怒るかもしれない(;_;)
取り扱いきれないくせに!燃やしたあとのゴミどこに捨てるんだ!
生意気だ!百万年死んどけ!
と怒る。
地球上どこにも捨てられない
捨てて安全なところがない
そういうの作らないほうがいいなあ
去年くらいから音楽もデータで買えるようになってきたのはいいことなんじゃないかなって思ってたんですけど、、
わたしが結構ダウンロードで購入してるので
CDは究極の燃えないゴミらしいので気になるところなのです
必要なくなったときすみやかになくなるものが今やいいものだよなあ〜
昔は形に残るものが珍重されてたけど、今はもう分解してくれないものは悪かも
納戸の整理をしてて思いました
納戸にはなんじゃこりゃ!いらね〜っていう中途半端なプラスチック製品が山と!
当時は良かれと作られたものなのに
生産者の方の無念が、
しかしすいません、これもう出る幕ない上に使えなさすぎる、というものばかり
しかし。かんじきや竹の敷物、火鉢などは、デザインも良く今でも使えそうですよ
火鉢は用途を変えれば素敵に使えそうだし
自然素材の寿命には驚く、洗練度が違うんだなって思います
時間でいえば何百万年もかけて精製された素材だから当たり前か。。
とにかく燃えないゴミはヤバい
心もそうかも
恨みとかそういうのは重いから残る
楽しいことや幸せは昇華して消えてゆく
プルトニウムは重いらしいです
心に固まった悲しみや苦渋を消し去るには相当のエネルギーが必要ですよね
現実もそうだよな〜
今この瞬間にも、処理できない、物質が作られてるみたいですが、、
そんなに因縁作ってどーする
昨晩、ほんとのエコ生活!てどんなん?
自然て?と
エデンの楽園を追われなかった場合の人間の生活というのを話合ってたんですが、
裸
調理しない
木の実や魚など
すみかは手で掘った穴か自然の穴
草をしいて寝るのはオーケー
水浴び
無理すぎる
この生活、日本でできるのは沖縄くらいでしょうか?
ちょっとの工夫がいつの間にか核弾頭になってしまうので石で貝割るとかも禁止。
味付けもだめで
病気も自然治癒力以外手当なし
となるとわたしなどはすぐに淘汰される存在なわけで。
自然のままでは生きられないのよね
りんごを食べて原罪を背負ったわたしたち、、
心が重くて当たり前な時代なのでした
あ〜わたしも家の中や心に原子炉いっぱい作って、廃棄物出してるな〜と反省
ますます手に入れるものの選別しようっと
必要なくなったとき、シェアできたり美しく廃棄できたりするものを求めるようにしよう
わたしの実行してるちょっとした省エネとしましては
ゆらはいまだかつて電気炊飯器や電気ポットを使ったことないのです
でも不便なことは一個もないです
やかんでわかすと美味しいし保温は魔法瓶でばっちりですよ(^-^)/
壊れないし
ごはんもめちゃめちゃ美味しいです
保温にしとくとまずくなるごはんも美味しいまま冷たくなるので調理しなおせばご機嫌です
美味しいって素晴らしい(^-^)/
電気代がかからず味も良く壊れない、これは便利なのでは?
まあ魔法瓶や鍋作る段階で環境汚染してるとか突っ込みはありますが、さすがにバナナの皮や竹の皮で蒸してという生活は東京ではできないので声が小さくなってくる
というか調理はもはや悪だよなあ
という極論になり、ついには
音楽はじめ、リアルに何かものを作るのは悪なんだよ。
という暴論になってっちゃうので
人間の特性で生きることはつねに悪でもあるという前提で、得手勝手で現実的な話として
魔法瓶なんていつのだろ?
何十年も昔のを使ってても問題なしです(^-^)/
ごはんは生まれる前からのお釜は引退しましたが、専門のを買わなくてもそのへんに転がってるお鍋で全然炊けますよ
味もお釜と変わらないです
すぐ炊けるし
洗うのも楽だし
環境とかいう以前に便利で美味しいので!オススメします
わたし、今さらと言わず自分の中の廃棄物や身の回りの廃棄物を増やさないようにしよ〜
捨てるの面倒くさいし
最近ものを買いにくいのはパッケージのゴミがおおくてうざいってのはあるよな〜
あ〜、しかし、この消費文明をプラスチック文明を愛してます
愛してましたよ
でも、別れないと困るのは地球ではなくわたしたちなんだな〜
ありがとうございました。
徐々に距離をおいていきたい。
まとまらない上に専門的な知識がないのにこういう問題を書くのはどうかなーって思いもあったのですが、書いてみました。
目的地が同じでも辿る道筋で景色がちがうんじゃないかな〜って
この迷いに満ちた文章を終わります
毎日こういうお話が続いてしまいましたが、また楽しい話を書いていきたいと思います
いつでも心にアポロンを(^-^)/